地元で働きたい。茨城という土地で生きてゆきたい。『茨城で働く』といっても、想いや考え、茨城を選んだ理由は人それぞれ。そこで、実際に働いている方々からお話を聞いてみることにしました。
今回お話をうかがったのは、日立市出身の神定祐亮さん(25)。神定さんは現在、日立市にあるコーヒー専門店 Tadaima Coffeeの店長として働いています。一時は県外の企業で働きたいと考えていたものの、なぜ茨城で働く選択をしたのでしょうか?そこには幼い頃から描いていた夢と、その実現に向けての物語がありました。
―コーヒーチェーン店からの転職
神定さんがいまの職場に転職したのは2018年11月。それまでは有名コーヒーチェーンに5年間勤めていました。Tadaima Coffeeとの出逢いはコーヒーチェーン在職中のことです。
「地元にコーヒー屋さんができるぞ!しかもオーナーは3つ年上の同世代!どんなヤツだ?」みたいな感じで、後輩たちと一緒に訪ねました。僕は当時、前職のお店の中でエース的な位置にいて、新店舗立ち上げや副店長というポジションにすごいスピードで上り詰めていまして…。ナメてる感じが出ていたと思いますし、オーナーの和田昴憲さんも面倒くさいのが来たなという感じでした(笑)帰り際に名刺を渡し、おいしいコーヒーありがとうございました~また来ます~といってお店を出ました。自分が働くお店とはまた違うやり方があるのだなといい刺激はあったものの、まさかここで働くとは思ってもいませんでした。」
初めての訪問では、さらりとお店をあとにした神定さん。「そのときのことは今でもオーナーと話します(笑)」と、はにかみながら笑った。
―夢を軸に選択してきた道
神定さんの夢。それは、ノーベル平和賞を受賞すること。
幼い頃から家族の喜ぶ顔を見るのが好きで、料理をしたり絵を描いたり、周りがハッピーになることを考え、実行してきた神定さん。映画を観ることも大好きで、幼稚園生の頃こんなことを思ったそう。
「ハッピーエンドではない映画を観て、疑問を感じたんです。互いに相手を喜ばせようとすれば自然とハッピーになれるのに、なんでそうなっちゃうんだろう…って。そこから世界平和について関心を持つようになりました。」
その疑問が夢の原点。
高校3年生になって仕事というものを考えたとき、『自分が作ったもので人を喜ばせる仕事がしたい』と思った神定さん。選んだのは漫画家の道。高校卒業後はアルバイトをしながら漫画を描き、東京に行って担当者に見てもらうという生活を送っていたと当時を振り返ります。
前職のコーヒーチェーン店で働きはじめたのは、それからのこと。地元に新店舗がオープンすると聞き、アルバイトを変えました。お客さんと接していく中で、「自分の接客で人に喜んでもらえることは、漫画家としてやりたかったことと同じだ」と気づき、社員へのステップアップを決めたといいます。「人が人を喜ばせることが世界平和を実現するための第一歩。」コーヒーを通してその一歩を積み重ねてきた神定さんでしたが、あるときドクターストップがかかります。診断は軽いうつ病。仲間との考え方のギャップに、身体が悲鳴を上げはじめたのです。
2か月の休職期間、神定さんは転職について考え始めます。
「ゆくゆくはと視野に入れていたことですが、だいぶ前倒しになってしまいましたね。実際に動き始めて、サービス業をメインに展開する県外の大手企業2社から内定をいただきました。サービスの質や、また違ったサービスの仕方・喜ばせ方を学びたかったので、当時は茨城で働くということは考えていなかったですね。地元でお店を開き、地元に貢献したい!起業したい!との想いはありましたが、今ではないと。今は外に出て経験したい、茨城にないものを経験したいという気持ちでした。でも、モヤモヤしていたんです。すごく。」
自分が幸せになれることで誰かを幸せにする。その最終地点としてノーベル平和賞を受賞したい。これが神定さんの軸。転職して自分は本当に幸せになれるのか?いま、心からわくわくしているのか?
そんなとき頭によぎったのが、あの場所でした。
―収入よりも、自分がわくわくするほうへ
「初めてTadaima Coffeeを訪ねたあと、オーナーが出演していた媒体を目にしました。お店のコンセプト、挫折の経験、Uターン起業…オーナーのやりたいこと・やったことにすごく魅力を感じました。そんな人が身近にいると知りながら、僕は県外の2社を選んだ。でも、すごくモヤモヤしていた。そこでふらっとお店に行ったんです。もしかしたら違った視点からアドバイスやご意見をいただけるのではないか?という気持ちも正直ありましたね。」
そのときオーナーがくれた言葉は「旅に行ってこい!」。「もしうちを気にして働きたいという気持ちがあるのなら、1回ちょっとリフレッシュしておいで」というものだったそう。こうして神定さんは南へ飛ぶことに。
「沖縄を1週間旅しました。滞在中に何かを得たというよりは、肩に背負っていたものを降ろしたという感じです。見栄やプライド、周りからの見られ方など一切気にしないようにして、自分の夢や将来について考えました。」
沖縄から戻った神定さんはコーヒーチェーンを退職。県外にも行かず、地元に残ることを決めました。
「転職活動をするときに何を見るかって、圧倒的に収入だと思うんです。それで僕は2社を選び、自分のわくわくは+α。でも2回目にTadaima Coffeeを訪れたとき上回ったんです、わくわくが。その感覚に正直でいようと。きっと結婚していたり、子どもがいたりしたら、また違っていたのかもしれませんが、今は収入よりわくわくをとって良かったと思っています。」
―ノーベル平和賞受賞を目指す神定さんのこれから
神定さんはいま、店長として店頭での接客・販売、コーヒー豆の焙煎・製造、組織として大きくなっていくためのモジュール作成、今後人を雇った場合どのように育てていくか・コーチングをするか等のマニュアル作成を担っています。さらに、休日は出張コーヒーセミナーをはじめとした個人の活動も行っているそうです。
「自分のお店を持つことを目標のひとつとしています。どの時期にということは不明瞭ではありますが、そのために個人でも活動をしています。この件はオーナーも理解してくださっていて、僕のことをすごく考えてくれているんだなと感じます。人を雇うことはすごく大変なこと。それは自分の経験からもよく分かります。そんな中で採用してくれたというご恩もありますし、だからこそTadaima Coffeeの経営理念やミッションを体現するお力添えができたらなという心境ですね。」
チームの一員であることを常に意識しつつ、自分のカラーも出すことができる。神定さんのしなやかさは、地元の人とのかかわりの中でも活きている。 「お客さんと接する際、フランクすぎても馴れ馴れしいと思われる。かといって硬すぎても気まずくなってしまう。そんな地方ゆえの難しさを改善するために、町のイベントに足を運んだり手伝いをしたりして、地域と積極的にかかわるようにしています。様々な方とのご縁があり、茨城で何かをしたいという人がこんなにいるんだ!これまでに出逢ったことのない生き方・働き方をしている人が茨城にもたくさんいるんだ!と驚きましたね。出逢った方々からノウハウを学ばせていただいてます。そんな人たちと出逢える場や多様な生き方を知る術をもっと早く見つけられていたら、関われていたら…未来の描き方がまた違っていたのではと感じます。」
夢は変わらずノーベル平和賞を受賞すること。周りから無理だよと言われても、そこだけ譲れないといいます。
「今、僕が紛争地域に行ってコーヒー淹れてということをやっても、撃たれて死ぬか、ネットニュースにあがるかで、何もできないことは分かっています。今できることは、地元である日立を元気にすること。日立が元気になれば茨城が元気になって、茨城が元気になれば関東が、そして日本が、世界が、という広げ方ができたらいいなと思っています。地元は切っても切れない。やはり、地元に貢献したいという想いはあります。今、茨城は魅力度ランキング47位じゃないですか?でも僕はそれが嬉しいなと思っているんです。中途半端より目立つ!伸びしろがある!というように捉えていて。僕たちの世代が先輩たちを巻き込んで、順位をあげていけたらいいなと思います。」
神定さんは現在25歳。ブレない軸というものは、人をこんなにも頼もしくさせるのか…。
「最近は友人から相談されることも多くなりました。モヤモヤしている人がいたら、自分が楽しんでいるイメージをしてほしいなと思います。」
あなたのわくわくを大切に。
Writer Profile
柴田 美咲
ライター、フィットネスインストラクター。1990年生まれ。茨城県日立市出身。沖縄が好き。島旅が好き。東京の体育大を卒業後、地元のスポーツジムで働くためUターン。2015年よりフリーランスに転身し、日立市や大子町で健康の維持・増進のためのクラスやイベント、講座を担当。また、大好きなふるさとの風景、物語や人の想いを未来につなぐため、「ひたちのまちあるき」「まちキレイ隊ビーチクリーン」を企画・運営。2016年からはライター業に挑戦。
Photo:鈴木 潤