『正直、介護の職場にはチャンスが転がっている』と話す中崎さん。
もともと映像の仕事を目指していたが、震災を経験し、当時はマイナスイメージを持っていた介護業界で働き始めた。
それから8年、どの地域でも求められ、現場には可能性もある、チャンスが大きい業界だと感じています。
家族での那珂市への移住と暮らしのリアルも交えて話してもらしました。
-まずは仕事面について伺います。学校卒業後はどんな仕事をされていたのですか?
東京で映像関係の専門学校に行っていて、卒業後に映像機器のレンタル会社に入社しました。イベントなどに搬入して設営するのですが、かなりハードでしたね。
茨城に戻ってきてから東日本大震災もあって、将来を見据えて働こうと思ったんです。
その時に、知り合いから土浦にある介護施設を紹介してもらいました。
―まずは地元の那珂市ではなく土浦に移られたんですね。
はい。土浦で5年ほど働いている時に、職場結婚をしました。子供が2人目になって、金銭的に厳しいと感じていました。
保育料も大変だし、アパートだと生活音や子供の声で周囲に気を遣ってしまう。「息苦しいな」と思っていて。
じゃあ、「僕の実家に行こうか?」と提案したら、妻も「いいよ」って言ってくれて。
―それで那珂市の実家に戻られたんですね。那珂市での仕事はどうされたのですか?
まずは子供の保育園でした。
子供の保育園が決まらないと働くのが難しい状況だったので、何度か市役所に行って、4月から入園できるところを探しました。
保育園の目途がついた段階で移住しましたね。
私はすぐには前の職場を辞められず、3ヶ月くらいは那珂市から土浦まで通勤していました。
-それは大変ですね。近くで仕事を探されてたんですよね。
そうですね。介護の仕事は、求人も多いので、正直なんとかなるだろうとは思ってました。
ただ、給料や通勤など、条件が良いところにしたい。
2ヶ月くらい土浦で働きながら、地元のハローワークで探していました。
結果的に、入社した職場は、もともと祖母が入院していたところなんですよ。
―そうなんですね。他にもいくつか候補はあったんですか?
那珂市内と、比較的給与が高い水戸市の会社も検討していました。
ただ、もう通勤に疲れていたので、近くがいいなと思って。
-土浦の時と比べて、給与は下がってしまいましたか?
下がるのは困るので、条件はほぼ一緒でしたね。
-では「給与」が下がらず、「介護業界」で、なるべく「近い職場」が仕事を選ぶ基準になったんですかね?
子供が2人になって、給与と休みのバランスを大事にしてます。
今の職場では休みが増えましたし、入社後に給与もあがっています。
休みは日曜日が固定で、あとは月10日という枠の中で調整しています。
―介護業界で8年間働かれているそうですが、役割も変わりますか?
今の職場では3年働いていますが、職務が変わり責任も増し、その分、求められるものも変わってきましたね。
-介護というと、大変なイメージもありますが、実際どうですか?
僕もすごいマイナスイメージを持っていて、初めは全く乗り気じゃなかったです。
でも、やってみたら、利用者さんと話すことが一番なんだと分かって。しかも皆さん面白い(笑)
もちろん、トイレやお風呂、食事のお手伝いもしますよ。
命と関わる場面もありますが、基本的にそれは医療の領域なので、医師や看護師と協力して行います。
-では、介護という仕事はオススメなんですね!
正直、介護の職場にはチャンスが転がっていると思います。
介護一筋でやっている人は少なく、人の移動も激しい。
だからこそ、自分のがんばり次第で報われる。年齢や性別に関係なく活躍することができ、パートから正社員なることも容易です。管理職なんて女性の方が多いんですから(笑)
最初はなんとなくやってみてもいいと思うんです。
やってみて、自分に合うなと思えれば、続ければいいし。
介護といっても色んな仕事があるから、割り切って変えてもいい。
まだ業界は伸びるので、若い人にはオススメですね。
体力もあるうち、現場を知って、がんばって上を目指して欲しいです。
―続いて、Uターンしてみて、暮らしの部分も聞きたいと思います。
やはり地元に戻ってきて、良かったですか?
結果的にはそうですね。
初めは不安の方が大きかったですけど。
―不安というのは?
環境の変化ですね。家族関係がどう変化するか。
-住む場所も、仕事も変わる上に、子育てもあると、とてもストレスですよね。
そうですね。しんどかったです。
私は地元だからまだ良かったですが、妻の方が大変だったと思います。
生活の拠点が変わり、人付き合いも変わる。
夫婦の間でも、行き違いがありました。
上の子も保育園が変わって心配しました。引っ込み思案な子なので、なかなか溶け込めず。今は無事に小学校へ行っているけど。
―那珂市の保育園の空き状況はどうでしたか?
正直、最初に申し込んだ時は、厳しいかもと思いました。
一緒に両親が住んでいたけど、仕事も生活もあったので、子供の面倒をずっと見てもらうわけにもいかない。
色々探して、結果的に子供2人とも一緒の園に通えました。
市役所の方とコミュニケーションをとって情報をもらっていたのが良かったですね。
いろいろ気にかけてもらえました。
―地元に戻りたいけど戻れないという方も多いので、子育てサポートは大事ですね。
今、奥さんは働かれているんですよね?
はい。介護ではなく、カフェでパートをしています。
土地勘もないし、人間関係も一からなので、正社員とか介護にこだわらず「好きなことしたら」って言って。
パートが決まって、自分の居場所が早めに見つかったので良かったです。
―最後に地元である那珂市についても教えてください。
私は日立に住んでいますが、もともと那珂市のイメージってあまりなかったです。どんな街ですか?
那珂市は、水戸市やひたちなか市などの周辺都市からアクセスが良く、ベッドタウンですね。
正直、目立ったところはあまりないと思うんです。
私は介護だったので、地元に仕事がありましたが、あまり地域の企業には目が向かない。
お店とかがんばってる人たちを、市などがアピールし始めているので、これからかなと。
あと、那珂市と言っても、市街地と郊外では全く違います。
お店や交通機関はもちろん、学校の規模感が違う。
水戸よりも大きな学校もあれば、うちの学校は1学年に7人しかいない。
子供7人に先生1人なので、手厚いという良い面もありますけどね。
移住を考える方には、教育環境も重要になると思いますね。
ここで、同席していただいた、那珂市政策企画課の萩谷さんにもお話を聞きました。
―那珂市はベッドタウンということですが、他の地域から移住される方もいらっしゃるんですか?
先日、東京から移住してきた人がいました。
テレワークで仕事をしていて、東京と那珂市で半分ずつの二地域居住をしています。
休日は海が近いからサーフィンを楽しんでいるらしいです。
-本当にそんな方がいるんですね! 絵に描いたような地域暮らしですが。
移住して、そのような暮らしをされてる方はまだ多くないです。
でも、那珂市で暮らす人が増えて子供が育てば、ここがふるさとになる人が増えます。
今は、その最初の人をつくっているのかもしれません。
-Uターンだとどんな方が多いですか?
中崎さんと同じように、子育てのタイミングと、親が高齢になってきて戻るという2パターンは多いですね。
-移住するとなると、家族や仕事の問題が大きいですよね。
市役所に相談窓口はあるんですか?
政策企画課内に、移住相談窓口があります。
「いぃ那珂暮らし」というサイトで情報発信もしています。
相談者の方は、関東はもちろん、茨城に絞って探しているという方が多いですね。
あとは、都内で移住相談会を開催したり、移住イベントにも出展しています。
生活水準が落ちずに、東京からも近い。
ひたちなかや大洗なども近く、立地には恵まれているなと感じています。
-どんな内容の相談が多いですか?
仕事や住まい、移住のサポート制度などの質問が多いですね。
あとは、お試し居住をやっているので、その問い合わせがあります。
今は、どの自治体でも移住サポートや窓口がありますから、住まいや子育てのことなど、相談して欲しいですね。
もともと映像の仕事を目指し、那珂市に戻るつもりもなかった。
震災を機に、未経験の介護業界で働いてみると、マイナスイメージは払拭されて「介護には大きなチャンスが転がっている」ことを実感する。
人が定着しにくい業界だからこそ、目的意識をもって努力を続けることが、大きな価値になる。逆境の中にこそ、チャンスがあることに気づかされました。
Writer Profile
若松 佑樹
株式会社えぽっく代表取締役。1985年日立市生まれ。読書好き、ももクロファンクラブ会員(れにちゃん推し)。 都内でITベンチャー、食と農のシンクタンクを経験した後、2014年より茨城にUターンする。 インターン事業を中心に若者の人材育成と地域の中小企業の経営革新を行う。 2018年に株式会社えぽっくを設立し、「働く」と「組織」のアップデートを目指し、兼業・副業や採用支援などにも取り組む。
Photo:鈴木 潤