「やろうと思ったらなんでもできちゃうと思いはじめて」と語る、戸板咲紀(といた・さき)さん。
戸板さんは、茨城県ひたちなか市出身。高校卒業まで茨城県で過ごしていましたが、都内の大学への進学をきっかけに東京に引っ越し、一人暮らしを続けていました。
しかし、新型コロナウイルス感染症の影響で大学もオンライン授業が定着したため、地元ひたちなか市にUターン。現在は実家から授業を受けています。
そんな戸板さんは、都内で大学生活を送っていたころから、地元での就職を模索していたそう。それでも当時は、茨城県の県央や県北地域で自分がやってみたいと思える仕事に出会うことができず悩んでいたこともあったといいます。
いま現在、地元ひたちなか市に拠点をおき、アルバイトや地域活動に参加しながらじっくりと自分に向き合う戸板さんの心境は、「かつての漠然とした不安感は、ワクワクに変わりました」とのこと。
今回は、茨城で働くことを模索している大学生、戸板さんに、彼女自身が考え悩んだ「地元で働くこと」について伺いました。
-「卒業したら地元に帰ろう」という想いは、学生のころから持っていたんですか?
地元ひたちなか市と実家が大好きだったので、進学で東京に行ったときも、「いつかは茨城に帰ってこよう」と思っていましたし、ひたちなかの実家周辺や、自分が知っている地域で仕事がしたいな、と考えていたんです。
でも、卒業して地元に帰り地元企業で働くか、それとも5年ぐらい東京で働いて実家に帰るか、ということも、まだ全然決められていませんでした。
そうこうしている間に、コロナ禍になり、授業もオンラインに切り替わってしまったので、アパートを引き払い茨城の実家に戻ってきたんです。そのときに「地元にいても、東京の大学の勉強ができるんだ」と分かって、その流れで「茨城に帰ってきたわけだし、就職先も茨城で探そう」と思って。
-茨城での仕事探しは、やはりインターネット検索や就活情報サイトの活用ですか?
そうですね。まずはインターネットで「茨城 就職」と検索したら、茨城県庁のWebサイトに出会い、いろいろなリンクを見つけたんです。「Re:BARAKI」とか「いばしごと」とか、「STAND IBARAKI」「if design project」のことも知ったし。
働き方の情報を見つけただけでなく、県内を舞台にしたいろいろな取り組みがあることを知って、その頃から、やろうと思ったらなんでもできちゃうなと思いはじめて、調べるのも楽しくなっていきました。
※if design project
異なるバックグラウンドを持つ仲間たちと共に課題解決の企画を行うプログラム。約3ヶ月間、茨城と東京で、自分たちだったら茨城県に対して何をやるか、何ができるかを、その後の実践や継続的な活動までを見据えて、企画・デザインしていく。
※Re:BARAKI
茨城県への移住定住を支援するポータルサイト。茨城の魅力的なヒト(人物)・コト(イベント・プロジェクト)・バ(コミュニティ)の紹介、空き家バンクや移住支援策などの情報を発信している。
※STAND IBARAKI
茨城県内でチャレンジを起こしたい人を応援し、「茨城県というフィールドを使い、実践する人」を 増やすことを目的とした実践型ラボ。
最終的に茨城に関わる人を増やすことを目指しているプロジェクト。
-学生向けの就職情報サイトの活用はどうでしたか?
使ってみたのはいいのですが、自分が希望する地域の企業の採用情報が出てこなかったんですよね。
今まで大手就職情報サイトに登録していたのですが、地方の採用情報が少ないなと思いました。茨城県内企業の採用情報も、茨城県南地域なら少し出てきますが、ひたちなか市や茨城県央・県北エリアの採用情報は、私が調べた限りではほとんど見つけられませんでした。
そんな経験から、茨城県庁のサイトや、その他の地域情報メディアなど、地方独自の発信媒体でないと情報が見つけられないのでは、と思います。
あと、手段の一つとして、Facebookもよく見ていますね。
-いまの大学生世代は、Facebookは使わないのかと思っていました。
Facebookは、実用的な情報が見られるSNSだと思っているんです。たとえば、企業が働いている世代に向けて情報を発信するときは、Facebookを使うことも少なくないのでは、と思います。それに、今まさに動いている仕事やプロジェクトにまつわる詳しい情報は、Facebookだとタイムリーに知ることができるという感触があるので、仕事関連の情報はFacebookで集めています。
実は、東京にいて茨城の情報に全く触れていないころには、「地方の仕事といえば公務員」という考えしか頭に浮かびませんでした。調べてみるまでは、自分が知っている「地方でも活躍できる職種」が少なかったんですね。地域のメディアや、SNSで流れてくるリアルタイムな情報を調べていくことで、今まで知らなかった働き方や職業を知るようになって、視界が広がったと思います。
-コロナ禍がきっかけで地元ひたちなかに戻る事になりましたが、東京ではなく地元で過ごす中で、考えたり変化したりしたことはありますか?
コロナ禍の社会の変化で、時間が奪われたような気持ちになることもあるし、きっと皆さんもそうだと思うんです。でも、この騒動がなければ私はまだ茨城に帰ってきていないと思いますし、地元ひたちなか市の阿字ヶ浦を舞台に活動している「イバフォルニア・プロジェクト」にも出会えなかったと思います。イバフォルニア・プロジェクトでは、お手伝いをしながら、社会人の皆さんや同世代の人たちと出会って、色々なお話を聞かせてもらっているんですよね。
はやくコロナ禍が終わってほしいという願いもありつつ、自分にとって行動を起こすきっかけでもありました。
コロナで実家に帰ったら、いろいろ考える時間が増えました。そこで、なんで私は実家が好きなんだろう?なんで地元が好きなんだろう?なんでひたちなかが好きなんだろう?って考えることが増えたんですね。
そうやって考えていくうちに、仕事内容だけでなく、仕事をする環境のほうを意識するようにもなりました。東京よりも、自分がいたい場所、暮らしたい場所があるんだったら、そっちに行ってみるのもアリなんじゃないかな、と思うんですよね。
SNSやメディアを調べていくうちに、実際にUターン就職した人の記事や、地元の企業を紹介しているウェブページがたくさんあって、「あ、意外と茨城に帰っても大丈夫かもしれない」と思いました。
せっかく東京の大学行ったのに地元に戻ってきたらもったいないんじゃない、と言われたこともありました。もちろん、私自身は大学で学んだ専門性を活かしたいっていう気持ちもありますが、大学で学んだ内容を必ず活かす、みたいなことに固執しなくてもいいのかなと思っています。
-いま、地元ひたちなか市を中心に活動しながら模索している途中だと思います。その中で見えてきた、「こんな働き方がしたい」という想いはありますか?
茨城県内外問わず、企業に就職する、となったときは、柔軟な働き方ができる企業がいいなと考えています。
コロナ禍になって、半ば強制的にリモートワークが広がっていって、変化が大きかった反面、本当に柔軟な働き方ができるかもしれない、という世の中になってきたと思うんです。
オンラインで色々な事ができるようになったということは、どこにいてもよくなった、ということ。オンラインが今以上に当たり前になっていくことで、今まで遠かった世界も、ぐっと近く、手の届く距離になっていくのだと思います。
だからこそ、自分が暮らしたい場所にいながらも、自分がやりたい仕事をできるようになるんじゃないかなと思います。