「地元はいつでもある。でも、これを逃したら茨城はもう来ないかもしれない。だから茨城で就職しよう、そう決めたんです」
はにかみながら話すのは、愛媛県出身で、現在「茨城いすゞ自動車」(本社・水戸市五軒町)の企画室で働く松谷陽香(まつや・はるか)さん。
大学進学を機に茨城に移り住み、就職、結婚とライフステージの節目を過ごしています。
なぜ茨城に?就職のきっかけは?茨城で働く理由とは?松谷さんの選択に迫ります。
ー愛媛県出身とのことですが、そもそもなぜ茨城に?
松谷:元々、高校時代から一人暮らしがしたいという思いがあって。親が出した条件は、国公立への進学。夏まで部活をやっていた私がそこから勉強して間に合い、かつ専攻したい心理学を学べるのが茨城の大学だったんです。仲の良い友達が東京の大学に行く予定だったのも理由のひとつです。
ー夏まで部活をやって国公立大に合格とは、素晴らしいですね!大学入学前後は何か地域に馴染むための活動などはされましたか?
松谷:実は、大学入学を間近に控えた3月に東日本大震災があったんです。愛媛は大した被害はなかったのですが、茨城は被害も大きく、入学も遅れて5月からのスタートでした。そんな状況もあり、「入学式で仲良い友達を作ろう!」という目論見は外れて、まっさらの状態でポンと大学の環境に投げ込まれた感じでした(笑)。
ーそうだったのですね。ちなみに、同じ高校や地元から同じ大学に入った方はいらっしゃったのですか?
松谷:それが、1人もいなくて(笑)。同じ地元の子たちはグループがあったりして、友達もできないし、最初は帰りたかったです。なんとか友達を作ろうと、自分から話しかけたり、学内報や食べ歩きなどのサークルに入ったりして少しずつ友達ができました。震災後ということもあり、ボランティア活動などもあったので、そういう部分で機会は多かったかもしれません。
ーそれは大変でしたね。地域の大人との接点などはあったのでしょうか?
松谷:特にこれといった大人との接点はなかったですね。学生中心の中で、ボランティアやバイト先で大人もいる、という感じでした。
ー就職の選択肢として「愛媛に帰って就職」「東京で就職」「茨城で就職」と3つが浮かんだのではないかと思いますが、いかがでしたか?また、その決断の理由は?
松谷:まず、「東京での就職」が最初に候補から外れました。大学4年間の間に、愛媛と茨城どちらにも大好きな友達がたくさんできたんです。純粋に茨城の人が好きになっていたんですね。東京で遊ぶことも多かったのですが、茨城は東京までのアクセスもいいので、わざわざ東京で就職しなくてもいいかな、と。
じゃあ、愛媛に帰って地元で働くか、茨城で就職するか、最後に天秤にかけたとき、思ったんです。
地元はいつでもある。でも、これを逃したら茨城にはもう来ないかもしれない。
愛媛までは夜行バスで14時間、飛行機なら成田まで2時間半と飛行機で1時間。愛媛で就職したら、茨城や東京で就職する友達とはなかなか会えなくなってしまう。じゃあ、茨城で就職しようって。
ー茨城での就職を決めてからは、どのように就職活動されたのでしょうか?
松谷:こんなこと言うと怒られちゃうかもしれないんですけど(笑)、やりたいことがあるわけじゃなかったんです。なので、感覚的に「良さそう!」と思ったら、業種も職種もこだわらずにエントリーしていました。多分、この感覚って学生の中の真ん中の感覚という感じなんじゃないかと思います。なので、社数もそんなに多くなくて、6〜7社くらい。「転勤のない、地元(茨城)で働ける会社」という条件で探しました。そんな中、説明会で前職の会社の先輩社員と話す機会があって、「あ、いいな」って。全部で面接が4回あったのですが、回を重ねるごとに楽しくなりました。私に興味を持ってくれて、どういう人なのかを聞いてくれて。楽しい、うれしい、入りたい!とワクワクしました。その後、無事に就職が決まって、人材採用支援の代理店営業として4年勤務しました。
ー先ほど、ご自身について「学生の真ん中の感覚」というお話がありましたが、ほかの大学の同級生などはどのような就職をされたのでしょうか?
松谷:茨城で働く、という子たちは公務員か銀行希望が多かったです。大学には、東北や九州出身者もいたので、そういう地域の同級生は地元に帰る人も多かったですね。
ーありがとうございます。入社後は、地域との関わり方や大切にされていた友達との関係性などの変化はありましたか?
松谷:営業職ということで、県内全域を回ったり、会社自体が本社が他県にあったりしたので、他の都道府県の同期との接点、営業先の年代の近い担当者を紹介していただいて遊びに行くことはありました。でも、学生時代のように遊べる友達がいなくて、寂しいなという思いもありました。
ー確かに。生活リズムも変わりますし、だんだん関係性は変わりますものね。
松谷:はい。私、趣味がB級スポットめぐりなんですが、夫や高校時代の友達を誘って茨城での遊びに誘うんです。一生茨城に来ることがなさそうな人に、私が「楽しい」「おもしろい」と思うのを「いや、いいよ」ってシャットアウトするんじゃなく、まずは知ってもらいたくて。茨城を、茨城以外の人に好きになって欲しかったんですよね。好きなものが多いというわけではないんですが、みんなでハマった方が楽しいじゃないですか。仲間を増やしたいなって。
ある時、営業先の「茨城いすゞ自動車」の担当者の方にそういう話をしたら、「こんな人いるよ」「こんなイベントもあるよ」と紹介してもらったんです。そこで「HakkoLab(ハッコーラボ)」というコミュニティに参加するようになった感じですね。これまで、友達の友達を紹介してもらうなんてことがなかったので新鮮でした。人脈が広がったな、と思います。
茨城発!世界を目指す”実践型コミュニティ”。「新しい時代の生き方を実践する人を応援する」を掲げ、イベント開催やオンラインサロン運営などを展開。小学生〜大人までが参加する。http://hakkolab.mystrikingly.com/
ーなるほど。仕事や学生時代以外の世界に飛び込んで行ったのですね。
松谷:そうですね。実は、最初はHakkoLabの設立メンバーの経歴がすごくて「意識高い系の人が多くて、置いていかれるんじゃないか」という不安があったんです。私は価値観含めて「結構そういう人多いよね」というタイプ。そういう意味では、最初に誘ってもらったというきっかけがあったのは大きかったですね。
実際、その中に入ってみて「そんなことないんだ」と。「ハードルが高い」と思っていただけなんだという気づきもありました。それからは、さまざまなことに対しても「自分から行ってみよう」とハードルなく広がっていっているように感じています。最近は、そのHakkoLabの中でメンバーを募って太刀魚釣りに行ってきました。(笑)
ー転職はどのように決めたのでしょうか?
松谷:前職の頃から結婚は決まっていたのですが、30歳までに子どもが欲しいなと思っていて。こればかりは授かりものですし、こちらで決められるものではないのですが、育児も楽しみ!でも、仕事も続けたい。結婚し、今後を考える中で、働き方やどんな人生を送りたいかを考えて、夫婦で話し合ったり、上司や働く先輩ママに相談したりしました。その結果、オンオフあっても、全て私の人生。楽しく過ごせればいいなって。
会社で働くことも色々な楽しい瞬間があります。日々、なあなあに働くんじゃなくて、仕事も自分が楽しいと思うことをやっていけたら、と。それを考えた時に、夫の仕事と私の仕事のバランス含めて、前職だとやりたいことを続けるのは難しくなったという感じです。
ーそうだったのですね。今の会社に入ろうと決めた理由や今後の予定などはありますか?
松谷:子どもを産んでも働く、と考えた時に、「茨城いすゞ自動車」では、産休中・育休明けの方が多く活躍しているというのが理由の一つでした。
また、転職を考えた頃に、自分の好きなことって何だろうと考えたんですね。私にとって、趣味のB級スポットめぐりにもつながるんですが「良いな」「好きだな」と思ったことを知らせる・伝えることが好きだと気づいたんです。だから、今、採用と広報の仕事を任せてもらえて楽しいですね。
あとはもう一つ。前職で「茨城いすゞ自動車」の担当だった時に、説明会にも立ち会ったんですが、その時に社訓や理念の話があったんです。役員の方が「社訓は掲げているだけでは意味がない。動くこと」といっていて共感しました。その旨をメールしたら、これがまた長文でメールが返ってきて。(笑)
実際にその役員の方が会社以外でも幅広く活動していることを見聞きしていたので、「あぁ、こういうことを大事にしている『人』なんだな」と胸にストンと落ちました。「掲げているだけじゃなくて、動くこと」をする役員がいる会社って「良いな」と思ったのが一番大きな理由ですね。
今後は、「たのしく働く」を実現しつつ、B級スポットや茨城での体験もより周りに伝えていきたいです。
終始笑顔で、会話の中から仕事の「楽しさ」や「好き」が伝わってくる松谷さん。
「オンオフあっても全て私の人生。楽しく過ごせればいいな」という言葉に、仕事との向き合い方の本質があるのではないかと感じました。「茨城いすゞ自動車」で「たのしく働く」を実現させるべく、仕事に趣味に全力の松谷さん。彼女の笑顔こそが、「働く楽しさ」や「茨城の良さ」を伝える力そのものではないでしょうか。
Writer Profile
高木 真矢子
合同会社JOYNS 代表、ライター兼編集者。1986年生まれ、茨城県常陸太田市出身。2018年3月に「人と人を『喜び』でつなぐ」を掲げ、JOYNSを設立。現在、WEBメディア「水戸経済新聞」運営。個人事業主の息子(小6)と娘(小3)と共に、それぞれが好きなことで生きる『個』 育て実験中。 水戸経済新聞
Photo:鈴木 潤