「何のために仕事をしているの?といったら、やはり自分のために仕事をしてほしい。自分が学ぶ、自分が利益を得る、自分がこの先どう生きていくかを考える。自分のために努力した結果が、お客さんを笑顔にする。」
どっしりとした口調でそう話すのは、株式会社セカンドアースエンターテイメント 代表取締役社長・清家達也(せいけたつや)さん。

飲食店の運営を軸に展開するセカンドアースエンターテイメントは、2005年に日立市で創業。東京で働いていた清家さんが日立に住まいを移し、雑貨とアイスクリームショップを開いたことが始まりです。2014年に株式化し、現在は日立で3店舗、水戸で2店舗、計5つの飲食店を運営しています。また、クラフトビール「日立麦酒」ブランドを立ち上げたり、日立市の観光事業やプロジェクトにも積極的に携わったりと、街のにぎわいづくりにも大きく貢献しています。

—原点と歴史

僕は神奈川県出身。専門学校でインテリアデザインを学び、都内の建築デザイン会社に入社。下北沢の沖縄料理店を手掛けた際、オーナーの商売センスに魅かれ転職。そこで飲食業のノウハウと人間力を磨くことの大切さを学んで8年、独立を機に妻の実家がある日立に引っ越し、創業しました。
自分が地元じゃないゆえに街をざっくり見たとき、通りとしてすごく美しく、景観の良い場所が鹿島町にあったんですね。その場所が気に入って…人の通りがどうこうとかマーケティングは一切なしで、不動産屋さんに紹介してもらいました。引っ越してきたばかりの頃は友達もいなかったし、家族以外は話し相手がいない状態。コミュニティも持ってなかったんで、半年間、市内の氷やさんで配達の手伝いをさせていただいたんです。120件くらいのお店を回り、リサーチをしましたね。そうしてこの街にないものをと始めたのが、雑貨や兼アイスクリームや兼アメリカンダイニングです。

とはいっても、いきなりレストランは時間がかかるんで、まずは入口でアイスクリーム、そのわきで雑貨の販売を。お客さんが来たら対応して、いないときは奥でレストランづくりを、というふうに始めていったんですね。レストランは30席ほどの規模。デザインも内装工事も自分でやりました。だからこそ興味を持ったんでしょうね、中学生4人組が、塾の帰りにアイスを買って帰るという流れができていて(笑)僕が日立にきて初めてできた友達がその子たちです。

アメリカンダイニングがオープンしてからは、何か目指したい何かやりたいという人が集まるようになりました。特に音楽関係。弾き語りをやっている子たちが月1でライブを開催したり、DJイベントを始めたり。やっぱりおもしろいことを考えるとわくわくしてくるじゃないですか。だから僕は特に否定せず、やりたいならやったら~と。それは14年経った今でもそうですね。何かをやりたいという子がいたら協力する。

—経営の転機

大きな転機となったひとつが、2010年の移転です。創業地である鹿島町から、現在のSECOND EARTH日立本店の場所・弁天町へと移りました。「もっとイベント主体のハコが欲しい。うちの会社に入って会社を大きくしたい。」という子が2人、社員として入ってくれたことがきっかけです。それまで僕は、5年10年先は~とか、他店舗展開は~とか、そういったことは考えてなくて、創業の店舗でずっとと考えていたんですね。しかし、そんな熱い想いのある子たちが入社してくれて、「4階建てのビルでやってみるか?」と訊いたら「やる」という答えだったので…移転を決め、1Fがイベントスペース、2Fがビストロ、3Fがテラスつきの個室、屋上がBBQビアガーデンと、フロアごとにテーマを設けたエンターテイメントレストランをつくりました。何かを考えてそこにシフトしていこうというのはほとんどなく、ほとんどが人との出逢い。移転できたのは彼らのおかげです。

水戸への出店も人ですね。2014年の3月頭に株式化し、翌月から新入社員が1人入るというタイミングに、僕が人として好きな酒屋の担当者さんから電話があったんです。「水戸に空き店舗ができるんですけど見ますか?居抜きで売りたいという方がいて。」と。いろんな人に声がかかるとタイミングを失っちゃうんで、僕はすぐ見に行ったんですね。そこで「この店舗楽しそうだな」と感じ、入社予定の子に「水戸で新しく店舗ができるから、入った途端そっちに異動になるけどいい?」と聞いたら「はい!」と言ったので(笑)4月に内装工事とクリーニングをして5月にオープンと、トントン拍子で進みましたね。これもやはり自力で何かを導いたというよりは、一番最初に声をかけていただいた、それに応えられたという信頼関係があってのこと。それがなかったら水戸に出店してなかっただろうし、やると言ってくれた彼がいなかったら難しかったことでしょう。
かかわる人たちの影響力や、若い子たちのエネルギーが今のセカンドアースを作ってきたように思います。

—事業と大切にしていること

現在、日立では「SECOND EARTH日立本店」、ハイボール専門店の「ハイボール酒場ハイカラ」、「大衆酒場ひつじ」というジンギスカンやさんの3店舗。水戸では「PublicBar SecondEarth水戸城南店」「EuroDining SecondEarth水戸南町店」の2店舗を運営しています。自分たちがやりたいことをやるよりは、街のニーズに合ったものや街にないものを意識して展開しています。うちが単なる居酒屋さんとしないところは、そういったエンターテイメント性を持たせたいからです。

社員は僕を含めて9名、アルバイトは60名。組織図は僕→エリアマネージャー(日立・水戸)→各店舗の店長→アルバイトスタッフという形です。うちは基本1店舗1社員。社員=店長と思ってください。箱が大きいところは2人つけることもあります。

店舗の運営は、基本店長たちに任せています。道が反れそうだったら軌道修正をしたり、ネガティブな話が舞い込んだときはある程度調整をはかったりしますが、聞かれない限り僕からは何も教えません。僕とその子には経験値の差があります。先に言ったところで本人が理解できるか…それはなかなか難しいと感じます。

会社としてのマニュアルも作っていません。うちはお客さん商売なので、僕との約束ではなくお客さんとの約束になるわけです。お店のオープンは18時、じゃあこの時間に来ていないとお店開けられないよね、と社員それぞれが考えます。ひとりずつの責任の所在というのは、全部自分に返ってくるもの。社員は毎月、店舗の純利益の10%ボーナスがあるので、がんばるかがんばらないかは自分次第じゃないですか。もうちょっとお店を開けようとか、売り上げがない月はしっかり出費を抑ようとか。
セカンドアースのやり方はこうですと言ってしまうと型にはめてしまうし、やらされている気になると思うので、それぞれのやり方で正しいと思う答えを探してくださいという形ですね。

—地域への想い

日立市観光物産協会の企画委員をはじめとした社会活動も、人のご縁からです。
自分がこの街に来て「救われたな」と思ったタイミングがあり…それは東日本大震災のとき。震災が起きてからの約半年、日立の飲食店ほとんどは人の動きがない状況でした。それでもなんとかやっていかなきゃってときに声をかけてくれた方が、商工会議所や日立の飲料業組合など様々なプロジェクトに関わっている方で、引っ張っていただいたという経緯があります。
創業の段階から街おこしとして商店街のマーケットなどに携わってはいたものの、なかなか信頼信用できる方がいなかった。言うことは言うけどやることはやらない、それじゃいけないよねと僕は結構言っちゃうんで。
しかし、震災を目途に「いろんな人が手を取り合い、ある程度情報交換しながら街を盛り上げていかないと」考え方が変わった方が結構いて…距離を取っていた人同士も自然と対話するようになりました。話してみたら実はこの街に対して熱量があったとかね。
その翌年に立ち上がったひとつが『ぴたっとプロジェクト日立』です。日立市内の新たな観光イベント創出を目的とし、日立市3モール商店街(ぎんざもーる、まいもーる、パティオモール)と日立駅周辺を舞台にした食べ歩き&街歩きイベント『ぴたバル』や、日立市内外から美味しいスイーツとパンを集めたお祭り『ひたちスイーツサミット』などを企画・運営している団体です。

3年前には、30代~40代前半の日立若手経営者会『翔天隊』を結成しました。今、その仲間とシェアオフィスをつくっています。シェアオフィスだけど、コミュニティスポットであり、自分が主張したいことをしっかり訴えられる場。学生たちが社会経験を積めるような、考えに対してコトを起こしてあげられるような場。そういうところにいろんな想いが集約することで、今後この街の考え方を全体的に変えていけるんじゃないかなと思ったんです。

最近ではもうひとつ、世界と茨城をつなぐグローカル志向の若手イノベーターを発掘・育成する『常陸フロッグス(Hitachi Frogs)』の活動にも携わっています。もともと沖縄で始まった『Ryukyu Frogs』という取り組みを茨城でもやろうと、仲間たちと立ち上げました。その中で感じたことは、自分が経営者として井の中の蛙だなということ。ですから今後は、「各社のNo.2で対話する会」や「No.3の会」を街うちで作り、社員たちも外で学ぶ機会を増やしていきたいですね。

—求める人材について

共存共栄できるような人を社員として迎えたいですね。
アルバイトであれば自分で学ぶべきものを学んだら次にステップへという考え方でいいとは思いますが、社員とは今後もお互い寄り添って、一生涯ともに仕事をやっていけるような関係性を作っていきたい。ですから、会社をわかった上で入ってきて欲しいですね。

今社員の子はアルバイトを経て社員になった子がほとんどです。アルバイト経験中に会社ってどんなもんで、どういう考えがあって、どこを目指していてというのが自分の中にどんどん入っています。なんの教育も必要ないとまではいかないけれど、会社というものをほぼ理解してくれている分、スムーズに話が進むんですよね。新しく店舗展開するときも、すぐに任せられるくらい。もちろんやるやらないの選択肢は与えていますよ。

面接時にこう話すんです。「お金がもらえる仕事はたくさんある。お金が欲しいなら、深夜料もしっかりくれるチェーン店で働いたほうが良い。うちは最低賃金くらいしか与えられないけれど、その代わり経験を与えることはできる。それでもよかったらうちに入ったらいいし。」と。やはりお金よりも経験が欲しいという子のほうが、いろんなものにどん欲に取り組む精神が養われています。お金で雇われた人は、お金が気に入らないと辞めてしまう。だからその2択は最初に発生してきます。
お互いが楽しく、よりよい時間を過ごせた方がいいですよね。

—先輩社員の話

『ハイボール酒場ハイカラ』の店長を務める薄井楓(うすいかえで)さんは、現在入社2年目。1年間のアルバイトを経て入社しました。
「もともとは違う仕事をしていて、Wワークで何かやりたいと仕事を探していたときに求人を見つけ、楽しく働けそうとの印象があり応募しました。アルバイトに入ってすぐくらいのとき、社長や社員さんから「社員の道もあるよ」声をかけていただいて…どうしようと考えながら1年間アルバイトを続け、社員になることを決めました。やりがいもあるし楽しく働いていけそうだなと思ったんです。

社長は私たちを信頼してくれて、基本的に任せてくれるんですね。何事も、思ったままにやってみてという感じです。「失敗したらどうしよう~」と不安になることもありますが、大事な場面で声をかけてくれます。提案したことにも否定はせず、自分に合ったやりやすいやり方でやらせてくれるんです。社長の背中を見て、自分はどうしたらそうなれるだろうと考えています。
ハイカラは2019年2月に移転オープンしたお店です。メニュー開発や店舗の改装工事は自分たちで。社長がデザインを決め、一から自分たちの手でつくりました。雰囲気が変わると常連さんが離れてしまうかもしれないという不安があったのですが、移転後の雰囲気を気に入ってくれる方や、良いお店だねと言ってくださる方がいて…立ち上げから頑張って良かったなと感じています。客層も変わってきているので、いろんな方が行きたいと思えるようなお店づくりをしていきたいです。また、日立本店と同じエリアになったので、この一角がますます盛り上がったらいいな、ハシゴをする空気感ができたらいいなとも思っています。

青森県出身の長内慎(おさないまこと)さんは入社5年目。進学を機に茨城に来て、DJの活動もしていたことから、先輩の紹介でアルバイトを始めたそう。3年後、社会人となるタイミングで社員となり、現在はSECOND EARTH日立本店の店長として働いています。
「学生の頃、もう一つ販売のアルバイトをしていて、就職時どっちに行こうか迷っていたんです。販売の仕事はダイレクトにお客様と絡んで喜んでもらえる楽しさはあったのですが、どちらかというと個人という感じがして。セカンドアースはスタッフも多いし、みんなで楽しい空間を作り上げるほうが好きだと感じたので、今の道を選びました。

店長となり、お客様やスタッフとかかわる中で、自分の成長というものを感じますし、それをまたお客様やスタッフに直接還元できることがやりがいなのかなと思います。

社長は一緒に現場にいるときも、僕たちに何か言うってことはないので…そういうメッセージなのかなと思って、社長の背中を見ながら学習するという感じでしたね。

繁盛店にすることはもちろんですが、お客様に「ここに行けばなんか面白い!楽しい!」と思ってもらえるようなお店にしたいです。また、うちは大学生のアルバイトスタッフが多いんですね。その子たちが「セカンドアースで働けてよかった」と思える環境づくりもしていきたい。将来につながる経験や、道が広がるなにかを。ここはいろんな人に出逢うので、それができると思っていて…。ここが起点となる、そんな会社にしていければなと考えています。」

—これからのこと

僕個人として、会社をどうこうしていきたいというのはないかな。ただ、「家族」的存在のスタッフたちがこの先路頭に迷わないように、次の準備をしておかなければならないという気持ちはありますね。今後10年20年、飲食店だけでは難しい世の中になるだろうから、違う形で会社の大きな紐となる部署を作りたい。飲食がダメになっても、そのとき会社にはすでに新しい仕事が生まれていて、そっちで新しく楽しいことをやっていこうって。その流れから、日立ビールの醸造所を作ろうかなんて話も出ていますね。モノづくりとしてローカライズに根付くようなものを作っていったほうが、楽しいじゃないですか。
日立は全国的に見ても相当厳しい地域ですからね。その中でも、自分たちに何ができるか、うちに関わってくれている人たちがどうしたら生き残っていけるかを考えていきます。

最後、清家さんに訊きました。この街がどんな街であったらいいですか?と。「子どもたちが諦めないような街であったらいいなと思いますね。」
終始穏やか、でも常に、情熱というものを清家さんの内側から感じました。

Writer Profile

柴田 美咲

ライター、フィットネスインストラクター。1990年生まれ。茨城県日立市出身。沖縄が好き。島旅が好き。東京の体育大を卒業後、地元のスポーツジムで働くためUターン。2015年よりフリーランスに転身し、日立市や大子町で健康の維持・増進のためのクラスやイベント、講座を担当。また、大好きなふるさとの風景、物語や人の想いを未来につなぐため、「ひたちのまちあるき」「まちキレイ隊ビーチクリーン」を企画・運営。2016年からはライター業に挑戦。

Photo:鈴木 潤

募集要項

企業名株式会社セカンドアースエンターテイメント
ホームページhttp://secondearth.jp/
住所(勤務地)茨城県日立市弁天町1-16-11 又は水戸
アクセスJR常磐線日立駅よりヨーカドーのあるパティオモールを通り過ぎて信号を渡り左手すぐ
雇用形態社員、アルバイト
募集職種サービス業務、接客、調理
採用人数 3名
給与基本給16万円〜
待遇
福利厚生
・雇用保険 ・労働災害保険 ・社会保険 ・厚生年金 ・昇給(年1回) ・役職手当
勤務時間16:30〜0:30 8h
休日 毎週日曜日と自由休暇含む月6〜7日
年末年始、自己旅行休暇含む有給10日
仕事内容接客、調理、マネージメント
必要な資格、経験、学歴経験、学歴 なし
求める人物像 利己的ではなく利他的
募集期間 2019年7月1日~2020年6月30日
選考プロセスまずは下記「応募フォーム」よりご応募ください。応募後、応募企業より直接ご連絡させていただきます。お問い合わせの場合も下記の応募ボタンよりお問い合わせください。お電話での直接のお問い合わせはお控え下さい。

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